映画『ゼロ・グラビティ』。

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先日、高校の同窓会の幹事ミーティングがあって。

その流れで同級生のジュンちゃんとゴハンを食べて映画おデート。

千葉で映画を観るなんて…何十年ぶり!!!!ぶはっ!!!

 

ゴハンを食べてた時に、なんとなく映画の話になって

そういえばサンドラ・ブロックは超いい人らしいね、なんてトークから

『ゼロ・グラビティ観たい!!』って結論になり、蘇我にある映画館へ。

蘇我に映画館があったなんて!!!

 

さてさて、『ゼロ・グラビティ』ですが…

地表から600キロメートルも離れた宇宙で、ミッションを遂行していた

メディカルエンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)と

ベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)。

すると、スペースシャトルが大破するという想定外の事故が発生し、

二人は一本のロープでつながれたまま漆黒の無重力空間へと放り出される。

地球に戻る交通手段であったスペースシャトルを失い、

残された酸素も2時間分しかない絶望的な状況で、彼らは懸命に生還する方法を探っていく。

というお話なんですが…

 

え!?酸素って2時間分しかなかったの!?ってことに今、気づいた。

っていうか、どこの酸素が2時間分しかなかったんだろう…ちゃんと観てたはずなのにわからん。

そもそも、サンドラ先輩の酸素は常に大ピンチで。

だけど携帯の充電みたいに1%になってからがだいぶ長かった。

尺は90分程度で、始まる前は『なんだか短い映画なんだね〜』なんて言ってたけど

観てみたらそのワケがわかりました。

だって…全編、出演者はほぼサンドラ先輩だけ!!!

たまにジョージ・クルーニーが来るーにー。みたいな。

サンドラ先輩は宇宙飛行士ではなく、半年間訓練をうけただけのDr.なので

色々と操作に不安があったり宇宙に不慣れなんだけども。それでも生きちゃうの。

っていうか、サンドラ先輩…宇宙ステーション破壊しまりで。

自分の国だけのじゃなくて、国際宇宙ステーションも中国のもぶっ壊して。

あの90分だけで何十億をぶっ壊したんだろう…みたいな(苦笑)。

 

これって、男性は割と絶賛しているのだけど…女子はうーむ…キツいかも。

宇宙とか地球とか映像は確かにものすごくキレイだけど

とにかくもう、大ピンチが続きっぱなしの90分なんで疲れちゃうの(苦笑)。

あと画面にサンドラ先輩しかいないから、観ていて飽きちゃう…(ごめんなさい)。

その割りに、サンドラ先輩に感情移入できるような伏線が少ないから

『ストーリー大好き!』な女子目線でいうと、なんか物足りない…。

 

3Dで観るべき!!!と言われていたんだけど、あんなに宇宙でグルングルン動いて

衛星の破片とかビュンビュン飛んでくるから3Dで観たら絶対酔う!!という結論になり

2Dでみました。はい、ヘタレですわ、私たち。

でも、それでちょうどよかった気がする…。

 

とにかくね、私。宇宙飛行士にはならない。(なれないけど。)

ムリ。

音も空気もない空間でひとりぼっちなんて、ノイローゼになっちゃうYO。

ちなみに、『ゼロ・グラビティ』ってのは『無重力』ってことらしい。

原題は『Gravity』。重力ってことらしい。なんかだいぶイメージ違うよね…。

『宇宙兄弟』を読んで得た知識をフル稼働させながらみた90分でした。

 

『ゼロ・グラビティ』も絶賛上映中です!!

 

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映画『かぐや姫の物語』。

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なんだかこのところ、映画を観るってことからもちょっぴり遠ざかっていましたが

やっぱりインプットは大事です。

っていうか、今の私は父のこととかあって仕事も断っちゃってスケがら空きでヒマヒマプーなんで

『どこでアウトプットすんの?』って感じだけど…まぁ、いつか役に立つ日がくる…のかな(笑)??

 

ま、そんなこんなで『かぐや姫の物語』です。

ジブリの高畑監督が「ホーホケキョとなりの山田くん」(1999)以来約14年ぶりに手がけた監督作。

日本最古の物語といわれる「竹取物語」を題材に、

「罪を犯したために、この地に下ろされた」とされてるかぐや姫の犯した罪、そして、罰とは何かを描き出す。

というものなんですが。

 

うむ〜。とりあえず、尺が長いです。2時間半あるので上映前のおトイレは忘れずに!

というのが、まず一番の感想。

なんでしょうね。

アニメーションはとても美しいです。

このデジタル全盛の時代に水墨画のようなあの作風は独特で、インパクトがあります。

そしてすごくすごく引き込まれる。

ストーリーは基本的に私たちが知っている『竹取物語』なんだけど、

まぁ、ジブリの主人公にありがちな『わたし大好き女子!!』なので

とにかく自己実現欲が強いし、猛烈なヒロイン気質(って主人公なんだから当たり前だけど)。

でもそれもひっくるめて『日本むかし話』の『かぐや姫』ですからね。

 

『姫の犯した罪と罰』というキャッチコピーから、

もっとかぐや姫の内面的な葛藤を描くのかと思っていたけれど、そこはわりと想定の範囲内。

それよりも、大好きなステマル兄ちゃん(ミヒマルGTみたいなんだけど漢字がわからんのです)との

最後のLobe Affair の方がド肝抜かれました。

あ、そうそう。

ド肝的なsomethingで言うと『帝のアゴ』にも注目です。

 

まぁ、そんなこんなでこれは大人のための映画です。

映画『かぐや姫』は絶賛公開中です。

 

non

紅ショウガ。

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ということで、いろいろ一段落したので美容院へ。

ずっと行きたかったんですよ。

でも、なんとなく行けなかったんですよ。

いつもお世話になっている麻布十番のtenの越谷さんにで、髪を切って染めてもらって。

っていうか、正確には色を抜いて抜いて染めて抜いて染めて。みたいな(笑)。

あまりにもカラーリングに時間がかかりすぎてカットする時間がなくなっちゃった。

これまでもブリーチして金髪のハイライトが髪の内側にちょっこし入ってたんだけど

(まぁ、そんな変な金髪でお葬式に出ちゃったワケだけど)

『ちょっと、はっちゃけたい気分なんスよ!!!』

なんて言ったら、ブリーチ部分が増えそこに赤を乗せるという…。

大丈夫、あたし、おしゃれ。オサレ、あたし。

と言い聞かせる。

決して90年代のビジュアル系バンドというかヘビメタバンドじゃないですよ。

オサレなんですよ、あたし。

いやしかし。

毛先が紅ショウガみたいなアタマで家に帰ったら

『そんなアタマで四十九日、どーすんの!?』

と旦那ちゃんに真顔で指摘されるなど。

ぶへへへへへへ。

今さらきみにそんな常識的なこと言われたくないんだよ!!!ぶへへへへ。

マジでにぎりっぺだぜ。

たった1日の四十九日より、364日のオサレだぜ!!!ぶへへへへ。

 

non

 

12月3日のこと。

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家族5人で泊まり、夜が明ける。

看護師さんが朝の回診に来てくれて脈を診たら…なんとまたまた脈が復活!

尿もよく出てる!!

先生も『もう予測が不可能なので家族も自由に過ごして下さい。』とおっしゃる。

ず〜〜〜っと緊張状態でいると家族の方も疲れてしまうので、先生はそれを心配してくれた。

 

朝、母と兄と妹が朝ご飯を食べに行く間、私がお留守番。

そうしたらなんか立派なネコが遊びにきてくれた。

個室に入ってからやっぱり変化のない生活を送ってきた父は、いつもいつも

『ネコでも遊びにこないかなぁ』と言っていたので、やっとネコが来てくれて私は興奮!

父のベッドを起こし、窓を開けてネコを見せる。

あんまり意識がないけど、少しだけ笑ってくれた気がする。

そうこうしていたら母と兄と妹が戻ってきて、またまた大騒ぎしてネコを見せる。

とにかく朝からネコで大興奮。

 

この朝、これまで便がほとんど出なかった父の便が止まらなくなる。

尿もすごく出る。私たちは『腸の機能が回復したのかしら!』なんて能天気に興奮してたけど

今考えるとこれは死の前兆だったんだろうなぁ。いろんな力が入らなくなっていたんだろうね。

でも、そんなことわからないし先生にも『少し肩の力を抜いてください』と言われたので

昼間、母と妹はお風呂に入るため家に。

私は夜の徹夜仕事に備えソファーで仮眠。

兄に付き添いをお願いするけど何かあるたびに起こされる(笑)。

 

午後3時ごろ、後ろ髪をひかれながら病院を出て東京へ。母と妹が戻ってくるまで兄が一人で付き添い。

兄は不安そうだったけど、兄にとってもこの付き添いの時間はとても意味があったと思う。

東京に戻るなら一度、新宿の自宅に行こうと思ったけど病院を出る時間が遅くなったのと

千葉から新橋までって総武線で一本で行けちゃうので、お風呂さえ入れればなんでもいいんなら

わざわざ自宅に行く必要はないと思って銀座の銭湯へ。

(ADを経験しておいて本当によかったと思う。こういう発想ができちゃうからねww)

銭湯で気持ちよくお風呂に入り、オロナミンCを飲みながら汐留のテレビ局に到着したところで

妹からLINEが。父の意識がないという。

え!?マジ!?

ってか、いまーーーーーーーー!?

あんなにずっと病室にいたのに、今なの!?お父さん!?

 

すぐに作家仲間のザッキーに連絡して今日の徹夜を変わってもらうことをお願いし

プロデューサーさんに電話して、今日の仕事は休むことを伝え再び総武線に飛び乗って千葉へ。

遠い、遠い、遠い。

っていうか、お父さんの危篤ってなんで毎回私が新橋にいる時なんだ!!!

 

電車に乗っているあいだ『なんでよりによって今なの!?』って思ったけど

それよりも、仕事が忙しくて私ほど自由には病院に来れなかった兄と妹がいる時でよかったと

思いました。だって私は、たくさんたくさんお父さんと時間を過ごせたもの。

 

タクシーに乗って父の病院についたら…父は息を引き取っていました。

泣きました。

こんな日が来るって覚悟はできていたけど、冷たくなった父を信じられない。

返事もしない、目ウンコも鼻ウンコもださない。水も飲んでくれない。

なんで!!!なんで!!!なんで!!!!!!!!!!!!!!!!

父は本当に急変だったようで、本当に穏やかに息をひきとったそうです。

苦しまなかったなら、それはよかった…。

 

私が着いたところで、先生がやってきて死亡宣告をされました。

病院の先生は、私がずっとずっと一緒にいたことを知っていたので

『死亡宣告は上のお嬢さんが来てから』と待っていてくれたのです。

だからそれまでは、とにかく声をかけ続けてくださいと言われ

母と兄と妹は必死で父に声をかけていたそうです。

 

父が緩和病棟に入院してから本当に本当に密度の濃い時間を過ごすことができました。

父がいないことが未だに信じられない時もあるし

今だって、緩和病棟に行ったら寝て待っていてくれそうな気がしちゃうけど。

やっぱりもう、会えないんだよな。

それって、すごく…悲しい。

後悔は全然してないけれど、自分がこんなにも父親を好きだったことに驚いている。

もっと一緒に旅行に行きたかったなぁとか

ぶどう狩りの日に買ったワインを2人で飲むって約束したのになぁとか

家族みんなでXmas会しようねって言ったのになぁとか

『後悔』とはまたちょっと違って『願望』みたいなものはいっぱいある。

でもね、強がりでもなんでもなく本当に後悔はしていないんです。

だって、私たち精一杯やったもん。

そして、あの最後の夜の持つ意味が本当に大きい。

 

ここまでずっと父との日々について書いてきましたが、読んでくださったみなさん

ありがとうございました。

父がこの世に残してくれた『私』を大切にしながら、生きていきます。

 

 

お父さん、大好き。

お父さん、もっと一緒にいたかった。

お父さん、ありがとう。

私、仕事よりの何が大切かちゃんと判断できたよ。

えらいでしょ??お父さん、褒めてよ。ちゃんと褒めて。

 

non

父の最後の夜のこと。

翌日は仕事を休むと決めた兄、妹も翌日は仕事がOFFということで

12月2日の夜は家族全員で父の病室に泊まりました。

家族5人で一つの部屋に泊まるなんて…本当に何十年ぶりだろう!!

子供の頃以来だよね。

だって、小学生ぐらいになればみんなそれぞれの部屋に寝るから

実際に一つの部屋に5人一緒に泊まるって、本当に私たちが小さな頃だけだよなぁ。

 

コンビニで調達したごはんを病室で食べ(看病の間は本当にコンビニ食ばかりだったなぁ)

父を囲んでみんなでおしゃべり。

父は意識があったりなかったりだけど、耳は聞こえていると看護師さんが教えてくれたので

子供の頃のこと、楽しかったこと、家族の思い出をみんなで懐かしがりながら喋る。

父も少しだけ笑ってみせたり、涙を流したり。やっぱりちゃんと聞こえているんだ!!!

そして。

母、兄、妹、私がそれぞれ、父に『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えることができました。

今考えても、この時間が持てたことが本当に本当にありがたくて。

父が何度も危篤を乗り越え、この日まで頑張ってくれたのは

私たちにこの夜を過ごさせてくれるためだったんじゃないかなって思う。

みんなでワイワイ布団をセットして、付き添いの順番を決めて眠る。

けど、何かあるとみんな母を起こすから、やっぱり母は寝れない…ごめん。

この夜、父はずっと手をバタバタとあげたり下げたりしている。

不安だったのかな…手を握ってあげても、やっぱり手をバタバタとする。

苦しんでいるとかそういうことじゃなくて、手をバタバタ…。

なんだったんだろうなぁ、あれ。

 

親が死ぬ時に。

立ち会えない人もきっとたくさんいる中で、私たちは最後の晩に家族全員で過ごせたのは

本当に幸せだったと思います。

そして、父と母はこんな風に仲のいい家族を作ってくれたんだなぁと思うと

すごくすごく温かい気持ちになりました。

家族の意味や大切さを強く強く感じた夜でした。

っていいながら、看病ばっかりで旦那ちゃんを放ったらかしているんだけど(苦笑)。

旦那ちゃんに『ずっと千葉に帰ってきていて、なんだかごめんね』って電話で話したら

『そういう時は、ごめんじゃなくてありがとうって言おうって決めたでしょ!』と

怒られました。帰らないことに関してはスルーなのに…。

でも本当、申し訳ない気持ちより感謝の気持ちの方が断然大きい。

そういう気持ちにさせてくれた旦那ちゃんにも、本当に感謝。

 

こうして家族5人でワイワイ過ごして、父の最後の夜は明けました。

お父さんとお母さんとお兄ちゃんと妹と私。

家族5人全員が揃っていた夜は、これが最後でした。

 

non

 

12月2日のこと。

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付き添いベッドで快適に寝てしまった…うぅぅ…。

役立たずな娘でごめんなさい、お父さん、お母さん…。

なんて気持ちで起きる。

病院の食堂で朝ごはん。まずい!!

いやしかし、不思議なもんで。

ちょっと前までは兄妹の中で誰よりも忙しくて、寝るヒマもないぐらい仕事して。

それこそ卵巣から血が出るくらい働いていたのに。

気がつけば3人の中で一番父と母と一緒に過ごしている。

たまたま仕事が少ないってのもあるんだけど、こういう選択をすることに背中を押してくれた

周りのみなさんに本当に感謝だなぁなんて不味い朝食を食べながら、ボンヤリ思う。

 

朝、担当に看護師さんにご挨拶。

父の手足と脈を診て、廊下に呼び出される。

脈が弱い。尿も出てない。チアノーゼも出ている。

先生がすぐにきて診てくれる。

今すぐに、兄と妹を呼んで下さいと言われ慌てる母と私。

とにかくすぐに兄と妹に電話。

兄はすでに仕事中だったし、妹は夜勤明けでそろそろ仕事が終わることだったけど

2人とも仕事を抜け出して病院にむかうとしてもやっぱり30分以上はかかる。

先生は『1時間もつか…』とおっしゃるので青ざめる母と私。

 

兄と妹が到着。

父はなんとか持ち直した。よかった…。本当によかった…。

この日は、5人でずっとすごす。

父は相変わらずコーラをよく飲む。水も飲む。

夜になって、帰るという兄を母と私と妹で引き止める。兄も覚悟をきめたようで

『明日、仕事を休むことにしたから今日は病室に泊まる』と言ってくれる。

このころには、意識があったりなかったりする父だけど兄が泊まると聞いて嬉しそう。

そうそう、この頃。無性に左の肘の内側をかゆがっていたなぁ。

妹と2人でよくかいてあげたな。

あと、力が入らないみたいで手を挙げるけど途中でバタンと落ちちゃうことが多い。

鼻がかゆいのに鼻まで手が届かない、みたいな。

父が手をあげたら鼻か左の肘の内側をかいてあげると気持ち良さそうになるということを発見。

あと…これまでは鼻から出ていた腸液が目から出始める。ビックリする。

先生や看護師さんは『鼻も目もつながってるからでちゃうこともある』なんて言うけど

これってやっぱり普通じゃない気がする…。

ちなみに我が家では鼻からでる腸液を『鼻うんこ』、目からでる腸液を『目うんこ』と

呼んでいました(笑)。

そんな風に笑いが絶えない看病だったのが、救いかな〜。

 

写真は、兄とコンビニに夕飯の買い出しに行った帰りに見た夕陽。

異常に夕陽を激写する妹(私)にドン引きの兄…。だって…。

 

そして、この後…父の最期の夜が始まります。

 

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12月1日のこと。

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朝、実家から妹と一緒に病院へ。

家をでる前に『父の目薬を持ってきて』と母からメールがあって、

病院に行く前に家で父の薬箱を探していたら何やら紙の束が。

なんだろうと思ったら、私が旅先から送った絵葉書だった。

京都、金沢、ミュンヘン、ウィーン、富士山、パリ、ロンドン、宮古島、

ロサンゼルス、軽井沢、小豆島…その他たくさん。

私は旅先から必ず両親に絵葉書を書くんだけど。手紙ってやっぱり時間かかるし

一方方向のコミュニケーションだし。まぁ、極端に言えば送った方の自己満足なんだけど。

でも。気持ちが届いていたこと、お父さんが喜んでくれていたことがわかって、

なんか涙でそうになった。って、泣いてる場合じゃないんだけど(苦笑)。目薬、目薬!!

 

この日は兄も昼前に病院に到着。しばし家族5人で過ごす。

しかし。

父の脈が弱い。これまでものすごくしっかりしていた脈が弱い。

夜には血尿もでたらしく、一人で泊まって付き添っていた母は軽くパニック。

父はひたすらだるそうに眠っているので、体を拭いてもらうのもお休み。

ヒゲが伸びていたので、本当はヒゲをそってもらいたかったんだけどおあずけ。

『明日、体もヒゲもキレイにしてもらおうね』なんて話していたら看護師さんに

『明日、おひげそれるかどうかわからない状況です』と言われビックリする。

え!?そんなに!?

この日も父はコーラをよく飲む。

 

もうずっと千葉にいるので、本当はこの日は東京に一度戻ろうと思っていたけど

なんだか気になって、母も不安そうだから結局また病院に泊まる。

そうそう、この時の付き添いで初めて『付き添いベッド』の存在をしったのでした(笑)。

付き添いが2人以上いるとどうやら折りたたみの大きなベッドを貸してくれるらしく。

前回、あの拷問のようなお泊まり付き添いはなんだったんだろう…(苦笑)。

ベッドはさすがに寝心地がよくて、付き添いなのに私ったら爆睡。

ううう…ごめんなさい。

でもまぁ、看護師さんいるからね…安心だよね…。

この頃から、父の呼吸が大きくなる。肩を使って息をする感じ。

これは肺だけだと呼吸がくるしくて、息がすいづらいから全身使って息をしているんだと

看護師さんが教えてくれる。あと、尿の出もすごく悪い。

実は尿の出が悪いのは、最期に近づいているというサイン。

これを私たちは聞いていたので、ちょっとドキドキする。落ち着かない。

お父さんとの別れが近づいているのだろうけど、信じられない。

なんかずっとこのまま時間が続いて行きそうな気がするのに。

 

写真は実家で使っていたポケットWi-Fi。安心安定の圏外www。

病院では使えるから、付き添いしながら原稿書いたり、企画書作ったりしていたよ。

全然集中できないけどね〜(苦笑)。

 

non

11月30日のこと。

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初めて病院に泊まっての付き添いをしてみて。

体がバキバキに痛い。気が張ってるから熟睡もできないし。

病院って本当にただいるだけなのに超疲れる…って改めて実感。

毎日泊まって付き添っている母を、本当に心の底から尊敬しました。

 

左手に刺していた父の点滴が血管の中で液漏れしてしまったらしく、左手がすごく腫れる。

体を拭いてもらうタイミングでその点滴をはずして、ちょっと様子を見ることに。

緩和病棟に入ってから、父は口から食事ができず点滴で栄養を補っていたので

点滴ができなくなるのは死活問題。でも、血管が細くてもろくなっているのですごく辛そう…。

 

体を拭いてもらう時に『今後、着替えやすいように前あきのシャツを用意してください』といわれ

病院の売店に買いにいく。1900円。高いのか安いのかよくわかんない。

なんとなくコーラが飲みたくなってついでに買う。普段なら飲まないのに…。

体を拭いてもらって新しいシャツを着て、どことなくご機嫌の父。

この日は起きている時間も長かったし、水をすごくよく飲んでいた。

そうそう、『コーラ飲む?』って聞いてみたら『飲みたい!!』っていうのであげてみたら

ものすごくたくさんコーラを飲んだからビックリしたのもこの日だった。

父自身もコーラの美味しさに改めて気づいちゃったようでこの日からコーラをよく飲むように。

少しでも栄養を取らせたいから、ダイエットとかZEROとかじゃなくてスタンダードなコーラ。

看護師さんに聞いたら、末期の患者さんって意外と炭酸が好きらしい。口当たりがいいのかな。

 

左手の点滴をはずしてしまったので、右手に入れてもらうけどやっぱり上手く入らず。

今後の点滴の仕方について、先生と相談。

でも、もう痛い思いや苦しい思いはさせたくない。

目が乾くみたいで目薬をしたいと言うけど、父の手に力がなくて上手くできず。

代わりにやってあげたけど、人の目に目薬さすのって超ムズい!!!

 

夜、仕事を終えた妹が病院に来た。

妹と、父の両側に座ってギャーギャー話していたら父も楽しくなってきた様子。

夜9時すぎに妹と帰ろうと思って病院の出口までいったところで

母が血相を変えて追いかけてきた。なにかあったのかと思って慌てて病院に戻る。

すると、父が急に寂しくなって2人を呼んできてほしいと悲しそうな顔をしたらしい。

こんな風に言われると、胸がざわつく。

またしばらく父と話して、気持ちが落ち着いたところで

『また明日、必ず来るからね』と約束して妹と実家に帰る。

 

母はこの日も泊まりで付き添い。

明日、病院に来る時に前あきのシャツをもう1枚、ジャスコで買ってきてと頼まれる。

写真は付き添いの間中、毎日のように通った病院のスタバ。

病院の食堂のごはんが恐ろしく不味かったのでこのスタバには本当にすくわれました。

毎日通いまくって、店員さんとも仲よくなっちゃった(笑)。

 

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11月29日のこと。

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午前中に妹と一緒に、実家から車で父の病院へ。ちなみに実家から病院までは車で40分ぐらい。遠いな〜。

昨夜はよく眠れる座薬を入れてもらったので、夜中はとにかく寝ていたらしい。

28日の夜から、ずっと眠りっぱなしだった父。

こんなにおとなしいと、ちょっと不安になる。

 

前の晩に病室に泊まった母はお風呂に入るため一時帰宅。

そのため、病室に一人でお留守番。

この『一人でお留守番』ってのが、ものすごく緊張する。

『今、なにかあったらどうしよう…』って思いつつ、父はひたすらよく眠ってる。

あまりにも父が眠っていてヒマなので、病室の動画を撮って遊んでみたり。

あ、そうそう。この日はお風呂にも入ったんだ。でも、シャワーだけだったみたい。

少し前あたりから、鼻から腸液が逆流するようになってすごく苦しそうだったんだよね。

腸液が鼻からでると、顔や首が汚れるのでお風呂に入れてよかった。

ちょっとスッキリした顔のお父さん。

でもお風呂に入ると血の巡りがよくなって痛みもでる様子。見ているのが辛い。

 

苦手な親戚が見舞いにきて、一人で対応するのにテンテコマイ。

本当にこの親戚ってのが面倒でした…。

 

母が戻ってきても、ひたすら眠り続ける父。

この日は初めて、私も病室にお泊まり。

個室なのでソファーとリラックスチェアー(?)みたいなのがあり

母はソファーで、私はチェアーで寝る。

が、しかし…。

どうやっても眠れない。

どこでも眠れる技術を体得している私ですら、眠れない…。

しばらく考えて、熟睡しないためのシステムであることに気づく。

母はソファで眠れている様子。よかった、よかった。

眠れないから父のベッドの脇に座り、痛み止めの点滴などをチェック。

夜中でも見回りにくる看護師さんが優しくて感動したり、ちょびっとお話したり。

父は相変わらずよく寝てる。

朝3時ごろ、目を覚ました母と交代。

ソファーを借りて寝たら、超絶眠れた!!!やっぱり体をフラットにするって大切よね!

 

そんなこんなで、お泊まり終了。30日の朝になりましたよ。

緊張しながら眠るって、全然眠れないのね。むふん。お母さん、すごい。

 

写真はお父さんとお母さん。たぶんこれが最後の2ショット写真。

 

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11月28日のこと。

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父が千葉県がんセンターの緩和病棟に入院したのが11月15日(金)。

ちょうど同じ時期に私が溶連菌というワケのわからない細菌に感染。

完治してようやくお見舞いに行けたのが11月18日(月)。

18日の週も木曜日以外は毎日お見舞いに行っていたのですが、

この時はまだできる限り仕事もやっていました。

父の状態も非常に安定していて『本当に2週間でどうこうなっちゃうの…?』という気持ちと

『覚悟を決めなければ…』という気持ちが半々だった覚えたあります。

 

しかし、事態が一変したのは11月27日。

早朝に父の容態が急変して、危篤になりました。その時の様子はこちら…『血の気がひいた。』

ただ、27日も父は驚くべき回復を見せ私たち家族を安心させました。

ということで、27日は東京の自宅に戻り翌日からの生活に備えました。

 

28日。午前中からお昼過ぎまでどうしても済ませてしまいたい打合せを入れ込み

仕事を断る方にはきちんと挨拶をして、夕方、東京を出発して父のいる千葉の病院へ。

この日から、仕事よりも父を私は選択しました。

でもって、旦那ちゃんのこともこの日から放置。本当にごめんね&ありがとう。

 

夕方5時半すぎに病室に着くと、仕事を終え一足先に着いていた妹と合流。

母が一度、自宅に戻っていたので妹と2人でお留守番。

父は薬が効いているのか、とにかくよく寝ている。

朝は座って雑誌を読んだりしていたと母が言っていたけれど、

私と妹がいた夕方には、ただただ寝ていて。ベッドの横でボーッとする私たち。

 

夜7時ごろ、母が戻ってくると急に目が覚める父。

なんだろう、この時から『夫婦の絆』とか『愛の深さ』っていうのが

本能的なものであることをまざまざと知る。

母が戻ってきた途端、父が『座りたい』と訴えるので体を起こして座らせる。

(父は咽頭癌のため去年、咽頭を摘出しているため喋ることができません。)

すると、筆談したりティッシュでお気に入りの鏡を磨いたり、

時計を磨いたり、ペン立てからペンを出したり入れたり。なにやら大ハシャギ。

このとき既に父には『譫妄』という意識障害の一種が発症していたので

子供に戻ったり、急に怒りっぽくなったり、非常にテンションが変わりやすい状態に。

この夜はどうやら『子供モード』だったらしくて、母に甘える父。まるで子供みたい。

鼻水がでてきたら、母に鼻をふいてもらって満足気。水も母からだと安心してよく飲む。

それにしても、私と妹の時には寝ていたのに、母が来た途端、起きて甘えるというのは

やっぱりすごい。

 

病院に泊まるつもりだったけど、妹が夜勤明けで運転するため

心配なので、この日は一緒に車で実家に帰ることに。

自宅に戻って父にメールしたら、返事がきてビックリ。

あまりにもビックリして母に報告したら『それは私が手伝って打ったのよ』と

種明かしをされて苦笑い。そりゃ、そうだよね。でも、嬉しかった。

 

この日の病室滞在時間は3時間程度。

母はこの前日から、最後までずっと泊まり込みでした。

写真は父の病院に行く途中で電車から見た夕陽。すごくきれいだった。

 

non