『大人のための私服の教科書』。

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大好きなフランソワが本を出しました!!!

すごい!!!本当にすごい!!!

フランソワは、超絶オサレなスタイリストで。

でもただの『ファッションバカ』じゃなくて『哲学』をもって洋服を選んだり

仕事をしているところが大好き。

本当は友だちの友だちだったんだけど、間の友だちをすっとばして

仲良くなってゴハン食べたり恋バナしたり(笑)。

あ、ちなみにフランソワはニックネームで彼は日本人です。小田原男子です。

 

そんなフランソワが新しく本を書いたというのでくれました!!

『大人のための私服の教科書』です。

毎日スーツで通勤しているオジサマたちって私服になると途端に困ったりするんじゃない?

例えば、同窓会とかカジュアルな飲み会とか旅行とか。

この間、実家に帰った時もゴルフ帰りと思われる50歳前後のオジサマたちのグループが

電車にいて、その全員が『ジャケット&茶色いタックパンツ&変なスニーカーor変な革靴』だったもん。

『制服かよ!!』ってぐらい全員同じ『私服』を着てたの。

まぁ確かに、私服を着る機会が少ないからそこにお金を費やすのはもったいないかもしれないけど

でも!!フランソワのこの本を読めば、ワンパターンになりがちな私服も

工夫とセンスでオサレに大変身できるってワケ!

 

イラスト入りだし、すっごく読みやすいし、大人の男性にオススメです!

女性も彼氏や旦那さん、そしてお父さんにプレゼントしてみてはいかがでしょう??

amazonでも買えるよ〜!!ここ!! ⇒

 

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ただ病院に行ってるだけなのに。

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時間の許す限り、父のところに通おうって決めてから。

仕事以外は、ほとんど毎日千葉にいます。

いやしかし、ただ病院に行ってるだけなのに、横に座ってジュース飲んだりしてるだけなのに

なんだか妙に疲れるんです。なんなんでしょうね、これって。

本当に不思議。

先週は金曜日から月曜日までずっと千葉の実家に帰っていて

母のそばにいながら、一緒に父の病院に通っていたんだけど。

月曜日の朝、体が辛くて辛くて起きるのがしんどかった。

やっぱり母って強いな。

こんな状態でも、必ず毎日父のところに通い続けている。

 

私は今、仕事が少ないし与えられた時間を父と母と過ごすために使おうと決めたので

(本当に、旦那ちゃんには申し訳ないんだけども…)

ほぼ毎日、父の病院に行くことができて。

父は一日ごとにテンションが違って(薬の影響なんかもあるみたいなんだけど)

ひょうきんな父にも、怒りん坊の父にも、ただひたすら眠り続ける父にも

会えることができていて、それがありがたいです。

だって、あとで後悔するのはイヤだもん。

 

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緩和病棟。

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父が緩和病棟に入院してから約2週間。

なんだかもう、坂道を転がるようにHP(ヒットポイント)が減って行く。

それが見ていてわかる。

悲しいとか辛いとかそういう感情を別にして言うと、ただただ驚き。

だって、入院するたった5日前の父の誕生日までは自分で歩いていたのに。

今では、自分で体を起こすことすらできない。

やっぱり、自分で歩くということはどんな意味においても大切なのだと思ったのでした。

 

食事も点滴なので、自分からなにか食べるということもないし

変な話、おしっこや便に関しても。

全てにおいて『能動的に動く』ということが消えてしまったのです。

これってすごくビックリしますよ。

 

緩和病棟に入るまでの闘病生活では、緩やかな状態が続きある日気づくと

なんだか大きな階段を一段降りているという感じで。その返し。

だけど、緩和に入ってからは坂道を転がるようにエネルギーが減っているのがわかる。

本当に不思議な感じ。

人は『能動的に』なにかをすることをやめちゃった時、こうやって色んな欲が

ストップしちゃうのかも。

まぁそもそも『生きる』ってのが能動的な行動だもんね。

そう考えると、色んなことが納得できる。

 

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③父のこと。

自宅で療養しながら、時々具合が悪くなって救急車で運ばれて入院して…

というのを繰り返し、父はついに緩和治療を選択します。

『自分が緩和治療を選択するときは死ぬとき』と常々言っていて、

どんなに辛くても抗がん剤治療をやめないと言っていたのに…。

 

今月の10日、父の誕生日には。

母が病院の先生に根回ししてくれていたおかげで一時退院ができました。

自宅で母と、私たち子どもたちに囲まれてお誕生日をお祝いして。

ものすごく嬉しそうだった父。

子どもみたいにはしゃいで、母と2人で三角帽子をかぶってダブルピースをしていた父。

それなのに、その5日後。

自ら『119して。荷物つくって。』と母に入院したいと訴えたのです。

全身が痛くてたまらなかったようです。

 

そして今。

父は緩和病棟に入院しています。

たった2週間前のお誕生日の時と、もうすっかり様子が変わってしまっています。

お誕生日には自分の足で立って歩けたのに、今はもう自分で座ることもできません。

父が緩和に入ったと連絡を受けたとき、私自身も溶連菌に感染し

完治するまで父のところにいけなかったのですが…自分の病状が治まり父の病院に行った時

『あぁ…もう時間のゆるす限り、会いにこなくちゃダメだ』

って思っちゃったのです。

こんなこと、夏には思わなかったのに。

 

今、私自身の仕事が少ないのも、きっと父との時間を過ごすために

神様がプレゼントしてくれた大切な時間なんだと思っています。

これまで頑張っていっぱい働いたから。

肝心な時に大切なことに時間を使えるように、神様が教えてくれているんだと。

神様なんていないかもしれないけど、私はそう考えて

仕事のない時間は、旦那ちゃんのこともほっぽり出して父の病院に通っています。

 

なんだか一気に書いちゃった。

でも、どうしても書いておきたかったのです。

忘れたくなくて。今の気持ちを。

 

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②父のこと。

声を失う代わりに、命を選択した父。

頑張ってリハビリし、退院し、ようやく手に入れた穏やかなセカンドライフを

母と楽しむのだと思っていました。

実際、2人でちょこちょことドライブに行ったりバスツアーに行ったり楽しんではいたのですが…。

神様はいじわるです。

 

予防のためにその後も抗がん剤治療を続け、定期的にPET検診を受けていたのですが

今年、顔の奥に再び癌がみつかりました。

それでも父は、絶対に生きると誓い抗がん剤治療に励みます。

副作用でどんなに具合が悪くなろうとも、抗がん剤を休むことはありませんでした。

しかし、今年の夏。

やはりこれもまた、おそろしく進行性の癌だったことがわかったのです。

発見したときはほんの小さな癌だったのに、わずか4ヶ月程度で癌は倍以上に。

しかも、脳幹の近くまで侵蝕し、手術は無理だといわれてしまいました。

主治医の先生から、

『今のうちに、行きたいところに行っておいてください。』

と言われたものの、まじめな父は治ることを信じて抗がん剤治療を休むことなく

病院に通っていました。

私たち家族は、夏の段階でこの癌がいつ破裂してもおかしくないし

そうなったらもう手の施しようがないということをお医者さんからいわれていました。

その時の混乱や複雑な気持ちを忘れることはできません。

でも、それはまだまだ先の話で現実のものとは思えませんでした。

 

…またあした。

①父のこと。

忘れたくないことを記録するためにBlogをはじめたのだから、父のことを書いておこうと思いました。

とはいえ、他人の父親の闘病記を読んでも気が滅入ったりつまらなかったりするでしょうから

スルーして頂いてももちろんOKです!!

 

父は癌です。

最初に発症したのは数年前。とても初期の胃がんで、その時は内視鏡で手術をして終わりました。

本当にものごく初期の癌だったので、手術も成功し父の癌はこれで終りだと思ったのです。

しかし2年前。

それが喉やリンパの近くに転移しているのが見つかりました。

でもそれも、とてもとても小さな癌で『発見できたのが奇跡!』というレベルのことで。

普段からマメに検診に通い、まじめな父だからこそ発見できたのです。

お医者さんの見解でも抗がん剤で治療して、様子を見ましょうということに。

しかしその数ヶ月後。

再び検査をしてみると、既にステージ4に。

父の癌は、非常に珍しいタイプの進行の早い癌だったのです。

咽頭をとらなければ、さらに癌が進行し命に関わると宣告され

『命をとるか、声をとるか』選択を迫られました。

私たち家族は、ものすごく悩みました。もちろん父も。

たとえ咽頭を取っても、癌を果然に切除できるとはかぎらないし声を失うことで

今後の父の人生に大きな負担がかかるのではないかと思って。

だけど父は、私たちのためにも1日も長く生きるために手術を選択しました。

手術は12時間にも及ぶ、大手術でした。

手術直後、目を覚ました父に会いに行った時、アタマでは理解していたと思うけど

それまで当たり前にできていた『話す』という行為ができなくなっていることを目の当たりにし

驚き、ショックを受けている父の顔は忘れられません。

喋ろうとするけど、声がでない。きのうまでというか12時間前まで当たり前にできていたことが

目を覚ましたらできなくなっている…。

 

しかし父は、めげませんでした。

声を失う代わりに命を選択したのだからと、頑張ってリハビリして退院。

母と簡単なバスツアーぐらいなら参加できるほどになりました。

話せなくなった自分を受け入れる父、話せなくなった父を支える母。

たまにはケンカもするけれど、きっとこのまま2人はセカンドライフを楽しむのだと思っていました。

退職後、癌に罹患し大手術しようやく手に入れた、セカンドライフです。

 

長くなっちゃったから、続きはあした。

お久しぶりです。

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なんかうっかりしてたら10日近くBlogを書いてないなんて。

こんなに書かないなんて、自分でもビックリ。

ん〜。なんでしょう。

体調崩したり、ちょっと実家まわりがバタバタしていたり。

PCを開くテンションじゃなかったのです。

ま〜でも、そんなこと言っててもしょうがないからね。

前を向いて歩いて行きます。

 

みなさまの優良なヒマつぶしコンテンツになれるように…。

またまたどうぞ、よろしくお願いします。

 

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私が、子どもを産めないワケ。

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これまで私が子どもを生めないことは書いてきましたが

その理由はあんまり公にしてませんでした。公にしない理由は特になかったんだけど…。

まぁ、別に言うほどのことでもないかな〜と思って。

 

私は数年前に『卵巣出血』を患い、リアルに死にかけました。

女性は排卵の時に卵巣で卵子をポンッと生むのですが、その時に小さな傷ができるらしいのです。

本当に小さな傷。数ミリ程度の。

毎月、女性の体の中で起こることだし通常はなにもなく終わるのですが。

その当時、生放送の担当を4〜5本やっていて、つまりほぼ毎日徹夜していた私は

体の抵抗力も落ち、とてもストレスフルでその排卵の時に生じた傷からの出血が止められず

ほんの数ミリの傷から約2リットル近くの出血があり、出血性ショック死の一歩手前でした。

 

それから、抵抗力や体力がおちると排卵出血を起こしやすくなり

ついには2年ぐらい前に子宮内膜症も併発して。

いや〜この時も猛烈にお腹いたかったです。

徹夜中だったんだけど…真っ青な顔で一晩中原稿書いてました。マジで朝方には意識が遠のきました。

で、左の卵巣は出血のクセがついてるし、しかも大腸に癒着している状態で。子宮内膜症にもなって。

婦人科の先生と相談した結果、ピルを飲んで排卵を停めていたのです。

なので、どう頑張っても子どもなんて生めないワケ(苦笑)。

 

でも、数ヶ月前から信頼できる鍼の先生の治療を受けて。

睡眠も上手くとれるようになってきたし、

徹夜の回数も減っているので思い切ってピルをやめてみることにしました。

正直、ちょっと怖いです。

またあの排卵の時の激痛に襲われたらどうしよう・・・とか

下手したら卵巣出血がまた起こる可能性もある。

でも、次のステージに進むために。というか薬に依存しないために。

別に子どもが欲しいとかっていうワケじゃないんだけど

(そんなにその欲はないんだよねウチの夫婦)

やっぱりね、ピルって副作用が強いんです。

ピルをやめて、自分の体がどんな風に変わるのか怖いけど楽しみ。

 

な〜んて、ものすごく個人的なこと書いてすみません。

記録しておきたかったんです。えへへ。

 

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Xmasカードを作ろう!! …vol.①活版印刷を求めて。

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やっぱりどんな状況になっても季節のご挨拶は大切です。

いやしかし、年賀状が出せるかどうかとても難しいので…。

『おぉ!そうだXmasカードを作ろう!!』とヒラメキました。(大袈裟…。)

 

私は名刺も年賀状も暑中見舞いも『紙系』のことは全て

ハイセンスな活版印刷の作品ができる表参道のウィングドウィールさんでお願いしているのですが

今回はちょっと変えてみようかな〜なんて思ってみました。単なる気まぐれです。

っていうか、東京に活版印刷所ってどのぐらいあるんだろう?って思ったのがきっかけで。

調べてみるとほんのわずかですがあるようです。

その中でも三軒茶屋の露木印刷さんは…いい感じ!!

何が決め手になったかというと、ホームーページが一番アナログだったからです。

ぬくもりがあります。はい。

 

ということで、アポを取りまずは打ち合わせ。

三軒茶屋の駅から徒歩10分ぐらいのところに露木印刷さんはあります。

70歳をすぎたと思われるご夫婦2人で営まれている小さな小さな活版印刷所。

このご夫婦が本当に素敵で、優しくて…。

まずは人柄にノックアウトされました。

これまで散々、活版印刷されたペーパーアイテムを使ってきたのに

私ったら活版印刷の工場を訪れたのはこれが初めてで。いろいろと勉強になりました。

活版印刷をするためにはまず、鉄板(?)の版下を作らなければなりません。

実際に活版の文字を組むよりそうした版下を作っちゃった方が早いんだとか。

自分でパソコンで文字やイラストをデザインして、プリントアウトしたものを渡せば

それで版下を作ってくれるらしい。

データじゃなくてプリントアウトってのが重要!!(アナログ!)

 

ということで、今日はそうした活版印刷の仕組みを聞いたり他の方の作品を見たり

今では露木さんのところにしかないという大きな活版印刷機を見せてもらったりして終了。

奥様がお茶をいれてくださり、夕方に訪れちゃったもんだから

『そろそろお腹がすく時分でしょう?』

と、メロンパンやらチョコレートやらおやつまでゴチソウになってしまって…。

気がつけば1時間以上も色々と話を聞かせてもらっちゃいました。

っていうかこれ…取材でもなんでもなくて完全なるプライベートなのに(苦笑)。

帰り際、『寒いから気をつけて帰りなさいね。』と見送ってくださった

露木さんご夫婦の優しさに心が温まりました。

 

ということで、次回は自分でコメントやイラストのデザイン校正をして持って行かねば。

あと、紙を探す旅にでなくちゃね!

紙の質感によっても、だいぶ表情が変わると教えて下さったので。

実際にカードを刷る時はインクの調合や印刷に立ち会っていいよって言ってくださったので

それもまた、超楽しみ!!

 

さぁ、どんなカードができるかな…むふふ!!!

 

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父の誕生日。

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昨日は父の66歳の誕生日でした。

父は癌です。

もう緩和治療しかできないレベルの癌です。

だから、今年のお誕生日は一緒に迎えられるとは思っていなかったので

家族そろってみんなで誕生日をお祝いできたことが本当に嬉しかった。

先日、母も太極拳の師範審査に合格したので一緒にお祝い。

 

土曜に帰省したら父が『買い物リスト』を作っていて。

母のお祝いもかねているので母に手間をかけないように

私たちにお寿司やケンタッキーや不二家でケーキを買ってきてって(笑)。

なんだかもう昭和の憧れのパーティースタイルです。

昨日は朝から妹に運転してもらって地元のお店を周り父のオーダー通りに買い物して。

みんなでハッピーバースデーの歌を歌ってお祝いして。

このまま来年も再来年も、みんなでお祝いできそうな錯覚に陥ったけどたぶんそれはムリで。

穏やかな状態の父と一緒にいると、時々思っちゃうんですよね。

『こんな風にこの先もずっと父が生きているんじゃないかな』って。

でもきっとそれはムリで、命は有限で。時間は限られていて。

そんな時に同窓会の幹事やったり飲み会企画したり一体なにやってんだって

自分でも思ったりするけど。

まぁそれはそれ、これはこれ…なんだろうなぁ。

だけど、もしかしたら急に心とか体とか折れちゃいそうな気がするな…私。

そしたら、ごめん。

 

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