『考える』ことを考える。

 

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私は仕事柄、日常的に『考える』っていう行為をするし、

旦那ちゃんも私の周りの人も割と『考える』という行為を当たり前にする人が多くて。

ただ、最近知ったのは『考える』という行為にもいくつも種類があるということでした。

 

私がいう『考える』は『アイディアを生み出す』行為で、

割とクリエイティブな作業を意味します。

ただ人によっては、『考える』ということが

『AかBかを判断する』とか『選択する』という人もいるし

はたまたもっと違う概念の人もいます。

というか、

そもそも『考える』とか『アイディアを出す』っていう考えがない人もいるし。

『のんちゃんは、日常的にアイディアを出すって行為をしているから

そうやって頭を使うことに慣れているけど、そうじゃない人もいるんだよ』

って指摘されて、『あ、そっか…』みたいな。

 

私にとっての『考える』とは、アイディアを出すってことなんだけど

私以外の人にとっては必ずしもそうではないんだね。

自分の常識が、他人にとっても常識であるなんて考えちゃいけないはずなのに

ついつい忙しさを理由に、自分の常識をおしつけてしまった。反省。

 

でもやっぱり。

どんな意味においても『考える』という行為はとても大切だと私は思っていて。

(ムダに印度哲学科でてませんからね。)

『考えること』を簡単に放棄したり、諦めたりする人は好きになれません。

というか、心が閉じる。パタン。

『思いつかない』って言葉は、私たちにとって『負け』を意味するし

この一言をいうってことは、自分で自分の終了ボタンを押すようなものだもの。

そんな人と、仲良くなれる気がしない。

 

仕事でもプラベードでも。

No ideaとか意味がわからないのですよ。

なんでもいいから、自分なりのアイディアを出すべきだと思うのね。私はね。

私はすごくケチだから、No ideaの人にタダであげるアイディアはないってことです。

 

な〜んてことを考えない、ゆるふわスイーツ女子になりたかったな〜〜〜〜〜〜。

っていうかさ。

結局、私の周りには『考えてくれる人』がいなかったから

(というか『のんちゃんは何にも考えなくていいんだよ』って言ってもらえるほど

いろんな意味でかわいくなかったから…なんだろうけど)

私は自分で考えるしかなかったってことなんでしょ?

まぁ〜。なんでしょうね。切ない…。

 

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